今から1800年前、古処の山から見下したところに筑後川が流れ、よく土地の肥えた豊かな村がありました。

 しかし、古処の山には羽白熊鷲(はぐろくまわし)という悪者が住んでいました。時々山を下りてきて、村人を苦しめました。村人は本当に困りました。

 神功皇后が九州にお見えになった時、悪者退治を、お願いしました。

 皇后様は、神様にお祈りされて「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷に頼んで、一晩のうちに城を作り、今度は潮満玉を使って、一度に水を入れ水攻めにして滅ぼしなさい」とお告げになられました。

 このあと、村は静かな平和な村となりました。神功皇后様は神様をお祭りするお社を建てようと思われ、1羽の白鷺をお放ちになりました。「白鷺の降りた所に、お社を建てたいと思います。どうぞ、その場所をお示しください。」と申されました。
 白鷺は空に舞い上がり、筑後川に沿ってしばらく飛んだ後、こんこんと清水の湧きでる所に舞い下りました。

 皇后様は、そこを白鷺塚と命名され、その近くに神様を祭るお社を建てられて蜷城(になぎ)を美奈宜(みなぎ)とあて、美奈宜神社と呼ばれました。また川蜷が守ってくれた村里をニナシロと呼びました。ニナシロがだんだんなまって、ヒナシロという地名なったといわれます。

白鷺塚
神功皇后
 

 今から1800年前、父君景行天皇の教えにそって、仲哀天皇は皇后と熊襲を征伐されたが、不幸病にかかり崩御されました。皇后はこのことを泌し、その根幹新羅を討つべく、出師の計画を立て、兵員を集め、兵船、軍器を整え、神々を祭って本邦最初の外征に肥前名護屋から出征していきました。

 皇后は航海中船中で素戔嗚尊、大己貴命、事代主命の3神に戦勝を祈願されました。海上恙なく船は新羅の港に到着し、戦端は開かれました。

 戦いは連勝し3カ条をもって降伏し大勝利を収め、高句麗、百済も来貢し、肥前、髙橋の津に凱旋されました。そのあと戦争に勝利を祈られた3神を祭られました。その神が美奈宜神社の3神でございます。


素戔嗚尊(祇園様)


大己貴命(大国様)

事代主命(恵比寿様)

 奈良朝時代、天下に事ある時、国内の著名な神社に勅使が参向して祈願する神社が当時全国で204社(祭神数285座)ありました。

 続日本紀によりますと、天平2年(730年)9月渤海の王が奈良の朝廷に進物を献上したので、翌月10月に名神祭が行われその進物の一部を各神社に献納されました。
九州本土では下記の12の神社が進物の献納を受け名神祭に預かっています。


○筑前国 宗像神社 住吉神社 八幡神社 志賀海神社 美奈宜神社 筑紫神社 竃戸神社(7社)
○筑後国 髙良玉垂命神社 豊比賣神社(2社)
○肥前国 田島坐神社(1社)
○肥後国 健盤龍命神社(現在の阿蘇神社) 1社
○豊前国 八幡比賣神社(現在の宇佐神宮) 1社

 この12神社だけが名神祭が行われる度に勅使や国司が勅命を奉じて参向した神社で豊後国日向国薩摩国4カ国(鹿児島県宮崎県)には名神祭に名を連ねた神社は1社もありませんでした。

 前記のように美奈宜神社は奈良時代、平安時代に名神祭の栄誉を受けた神社です。

 

 三代実録によりますと清和天皇貞観元年(859年)正月27日筑前国従五位の下美奈宜神社従五位上の授位が行われた事が登録されています。

 延長5年(927年)に朝廷により定められた延喜式では美奈宜神社は式内大社に列せられ明神帳に記載されております。 

 往古美奈宜神社が九州の著名な神社として国家のいくつもの史書に記載されていたことは、つまり筑後川が古代の人々の生活を支えていてこの川の両岸に古代の集落が発生し、年と共に発展して行きこの川が九州を横断する主たルートであり、この川畔に祭られた美奈宜神社が両岸の多数の群落の人々はもちろん、多くの旅人からも厚い崇敬を集めていた事の証左だあるとも言えましょう。

 延元2年(1338年)菊地武敏軍と足利尊氏の先陣小弐頼尚軍が戦った筑後川水城渡の戦で戦火に遭い、社殿宝物記録類の一切を消失し以来衰退する処となりましたが、足利尊氏は神慮を恐れて社殿を再興しました。また永正6年(1509年)秋月城主秋月伊豫守種時が社殿を再建し神輿及び清道旗を奉納し、神幸行列の先駆として現在まで継続されています。

 慶長6年(1601年)黒田長政公の信仰は篤く、社殿の造営があり、下座郡総社と定められました。
元禄15年(1702年)には現在のご神門が建築されています。元禄17年(1704年)に現在の石鳥居が建納され、貝原益軒の妻江島氏の筆にて柱の銘が刻まれています。

 文政11年(1823年)に大老黒田播磨公により現在ある社殿に改修されています。弘化4年(1847年)には1650年祭を執行しています。

 明治30年に縣社に昇格し、昭和28年に国家管理を離れ、宗教法人美奈宜神社として現在に至ります。