江戸時代の大事業
〜床島用水〜

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床島用水の整備

蜷城地区は筑後川、桂川、佐田川、の 3 つの豊かな水の恵みを持っています。但し低い場所のため、水害に悩まされていました。福岡藩の反対を押し切って久留米藩は正徳 2 年(1712)に筑後川に恵利井堰を作り床嶋用水に着工しました。
その結果、支流の桂川が 逆流し湿田化し、以後 100 年間当地区の稲作は大打撃を受け続けました。当地区の庄屋松岡九郎次は筑前と筑後の多くの庄屋達と何度も話し合いを続け、福岡藩、久留米藩の了解を取り付け、文政8 年(1825)に佐田川の下にトンネルを作り(長田川)桂川の水を流すという大事業を完成しました。 福田地区の二又川も同時に竣工し、次年度は反当り5俵増米し長田地区だけで 3,000 俵も増えました。
以後松岡家は 3 代に亘り長田川の改修、湿抜き事業に尽くしました。美奈宜神社の令和の大事 業(社務所建設、神殿拝殿修復)にて令和 2 年に神殿修復の折、回廊の肘木を抜くと当時の満願成 就の記載が出てきました。この驚きの事象はお神様の御神意の賜物と皆々驚愕しています。