日本最大の怨霊と
なった崇徳天皇による
悪縁切りのご利益

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崇徳天皇の怨霊を鎮めるため、同じ「林田」の地に建立

一一五六年保元の乱で源義朝を率いる
崇徳上皇は、平清盛を率いる後白河天皇に
皇位継承をめぐる争いに巻き込まれ、
敗れてしまいます。
その後讃岐に流され、「林田」の雲井御所で
一切の欲を断ち切っておこもりされました。
帰京することを願い、せめて写経だけでもと
後白河法皇に懇願しましたが、拒絶されます。
これに怒った崇徳天皇は今後、髪に櫛も入れず
爪も切らず生きながら天狗になったと言われています。
京都の地を踏めることは出来ぬまま、四十六歳で崩御しました。
その後、百年毎の命日に大きな災いが続きます。
崇徳天皇の怨霊と恐れ、御霊を鎮めるため、
同じ「林田」の地に社殿を建立したと伝わります。
後に京都にも白峯神宮が建立され、
明治に入り、朝廷と和解したとのことです。
和解まで七百年もの長い年月が掛かりました。
一切の欲を断ち切っておこもりされたことから、
崇徳天皇は断ち物のご利益があると信仰されています。
男女の縁をはじめ、病気、酒、煙草、賭事など、
全ての悪縁を切るご利益がございますので、
ぜひお参りください。

由緒について

崇徳天皇

 第75代天皇である崇徳天皇は、父の鳥羽上皇から我が子でないと疑われ、1156年の保元の乱にて讃岐に流され、林田の雲井御所で約3年過ごされました。二度と京都の地を踏めることは出来ぬまま、8年後に崩御しました。
 その後京都で多くの災いが起こり、上皇の祟りと言われ日本史上最大の怨霊となったと伝えられています。崇徳天皇は、配流先の讃岐では大乗経の写本を作り、戦死者の供養と反省の証として京都の寺に収めてほしいと朝廷に願い出ました。しかし、後白河院はこれを拒否しました。 
 これに激しく怒った崇徳院は「この経を魔道に回向する」などと血で書き記し、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿となり、のちに生きながらにして天狗になったと言われています。

ご神徳

 ご祭神の崇徳天皇は、讃岐の地で一切の欲を断ち切っておこもりされたことから、白峯神社は断ち物のご利益があると信仰されてきました。
 また、戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳天皇は、人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さいます。
 男女の縁をはじめ、病気、酒、煙草、賭事など。昨今では、ストーカー行為などの悪縁を断つ御祈願も多数寄せられています。
 全ての悪縁を切るご利益がございますので、ぜひお参りください。

願い文・悪縁切り祈願

願い文

白峯神社
・御祭神:崇徳天皇
・御神徳:悪縁切り
崇徳天皇が、保元の乱(1156)にて讃岐國に流され亡くなった後、京都では多くの災いが起こり、上皇の祟りと言われ、日本三大怨霊の一人とされました。祀られるようになった崇徳天皇は、自分と同じ様に苦しみ悩む人々がなくなるよう、悪縁を切り、良縁を結ぶ事を願われました。願いを文に託して、白峯神社の願い文・みくじ掛けに結んでください。

美奈宜神社
・大国主命:縁結びの神
・素戔嗚命:厄除・健康の神
・事代主命:商売繁昌の神
出雲3神を同時にお祭りしている、全国でも数少ない神社です。願いを文に託して、美奈宜神社の願い文・みくじ掛けに結んでください。

御祈願について
予約制でございますので、社務所までお問い合わせ下さい。
※受付時間 09:00~16:30 年中無休

初穂料について
通常祈願:1件につき、5千円
・ご祈願後、悪縁切りのお守りを授与します
特別祈願:1件につき、1万円(笛の奏楽も致します)
・ご祈願後、悪縁切りのお守りと美奈宜神社特別木札を授与します
※お守りをお渡しする数を件数として数えます。  
   
縁切りお守り
・1体:800円
白峯神社のご神徳のある縁切りお守りをお分かちしています。お好きなものを選んでいただき、カバンなどご自身のお近くにお持ちください。